レスラー スペシャル・エディション [DVD]
出演:ミッキー・ローク /マリサ・トメイ /エヴァン・レイチェル・ウッド
NIKKATSU CORPORATION(NK)(D)
発売日 2010-01-15
オススメ度:★★★★
胸に沁みる映画。 2010-02-10
かつてのミッキーロークを知っている観覧者は、主人公の生きざまをミッキーのそれに投影してみてしまう。もしかしたら、それを意図して、製作者側はミッキーを起用したのかもしれない。
また、主人公の職業がプロレスラーである点も興味深い。落ちぶれた舞台役者でも良かったのだが、おそらく、主人公の身体的な損傷を描くために、製作者はプロレスラーという職業を選んだのだろう。そしてミッキーが実際にプロレスを演じるというギミックまでもスパイスとして用いている。ここで吹き替えを使ったら、ミッキーと主人公を重ね合わせたい観覧者の希望に水を差すことになるからだ。
さらには、恋人(?)にメリサトメイを起用した点もなかなかに考えさせられる。文句なく美しく、スタイルも良いし、実力もキャリアも十分の女優なのだが、メガヒット映画のヒロインを演じるような、スター中のスターというわけでは決してない。
演ずる人々の実社会における立ち位置までをも上手に取り込んだ本作は、おそらくは徹底的に作りこまれた脚本によって、じつに見事な作品になっている。そのため、本作には数回の観賞に耐えられるようなチカラがある。
齢(よわい)いってこそ 2010-02-05
『ホームボーイ』と一緒に購入しました。10数年前のホームボーイとは違い、他のレビューにもあった通り、在る意味救いの無い作品。故に40男には身につまされる。“オンリーワン”の是非を考えてしまいます…。
最初は「ロッキー」かと思ってましたが、いやいや・・ 2010-02-01
ミッキー・ロークの私生活や長年干されていたなどを知らずに見ても十分感動できますね。これは心臓病で倒れ、娘にもプロレスにも捨てられてしまいそう、という点で「ロッキー」よりずっと惨めかもしれません。
でも、自分にはほかに何もない、プロレスあるのみ、と覚悟した後は、あまり多くを語りません。
寡黙に、最後のリングに上がり、ラストはもしかすると「死」で終わったかもしれません。そういう暗示があったように思います。でもおそらく主人公にはバイト先で心臓が止まるより、ずっと幸福な死であったことを信じることができました。
人の生き死には医者の専売特許ではなくその人個人のもの、他の誰のものでもないことを今さら痛感させられました。
疎外された男の行き倒れの物語 2010-01-31
旧聞だけど2009年度のオスカーのノミネートを見て、いちばん驚いたのは、「ミッキー・ロークが主演男優賞候補!」という報道である。ミッキー・ロークってあのミッキー・ロークである。億にひとつのチャンスをつかみ、「セクシー俳優」「トレンディ俳優」として世界的なヒットを飛ばし、スターダムにのし上がったが、キャラクターに難がありすぎるために、アメリカンドリームを体現するまでに至らず、いつの間にか消えちゃった人だ。
その「ひとりよがりな不器用さ」と、「世渡り下手」が災いし、芸能人としてうまくいかなくなると、今度は趣味(だろうとファンみんなが思っていた)ボクシングにのめりこみはじめ、アーッ!ミッキーの命より大切な顔があっ!!!「ボクサーの顔」と化し、アイドルなのに顔が変形するまで殴り合いに夢中になってどうする?みたいな、「残念!」なニュースしか聞いていなかった。消えちゃったね・終わっちゃったねという印象しか持っていない日本の洋画ファンの前に、いきなり「オスカー主演男優賞候補!」である。ロイヤル・ストレート・フラッシュを決めてみせた。
若き日のミッキーの映画って、「ランブルフィッシュ」も「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」も「ナイン・ハーフ」も、単に綺麗で雰囲気のある男だからみんなで鑑賞していた・・みたいなほとんどアイドル路線で、誰も彼を「演技派」とは呼んでいなかったような・・・おぼろげな記憶。
で、今月1月にその「レスラー」がDVDリリースされたので、早速借りて見た。
結論から言えば、「レスラー」は、端正で かなしい よい映画です。うん。★★★★☆。
でもこの話って、どっかで見たような・・・と思ったら、ミッキー自分の昔の主演作をリメイクしたの。
1988年、女子高生だった私は、ミッキー主演の映画「ホームボーイ」を劇場で観た。はっきり言おう。世紀の駄作だった。★★☆☆☆がいいとこ。これからDVD借りてみようかという人はもう一度、DISCUSで検索しなおしたほうがいい。死を宣告されたボクサーが、恋人のために命を賭けて闘い、試合に負けたが、ラスト恋人が彼を温かく待っていて・・という内容だけど、退屈。
しかしこの駄作は、ミッキー・ローク的には「原点」というか、彼自身が掘り下げて取り組まなければならないテーマだったらしく、その年月と試行錯誤の努力の跡がはっきり見えるのが「レスラー」なのだ。「レスラー」の最後で、ラムが見物客に向かって、「俺に“辞めろ”という資格があるのはファンだけだ」と言うシーンがあるけど、負け犬だ、世渡りベタだ、才能がない、と叩かれながらも「自分の居場所がここしかない」と開き直るためには、すべてを失わなくてはならなかった中年の男の遺言がぐさっと突き刺さるのである。
映画「レスラー」は「ロッキー」ではない。スタローンは勝ち残った。今回のミッキーの映画は、「疎外された男の行き倒れの物語」である。だから、かなしい。暴力シーンばかりが続くのに、ここまでセンシティブとは。キャラはどれもこれも傷つきやすく、端正な連中である。画面をつくりこまないので自然光に近いシーンが続き、つきはなしたようなセリフ回しが妙にこたえる。
医師「死にかけたんです。次はどうなるか分かりません」
ラム「なあ先生。・・・結構な話をどうもありがとう」
心臓発作のバイパス手術のあと凹んでしまうラム。話題を呼ぶはずの、おそらくはラムにとって有終の美となるはずのタイトルマッチがすぐに近づいているのだ。
ラム(ミッキー)は、どさ回りのプロレスラー。かつては有名レスラーとして稼いだ時期もあったが、今は住所不定のトレーラー生活で独身。ガールフレンドのヌードストリッパーのパム(オスカーゲット!やったね!)とは純愛モード。パム「あなたはお客よ。お客とは一線を超えないの」
心臓手術のあとで試合をすれば命もあやうい。さすがに動揺したラムはパムに打ち明ける。住所不定の馴染み客に頼られたって困るパムは「別れた娘にあってみたら?」と助言し、ラムはかつて置き去りにした娘に会いに行くが拒絶される。
ラム「俺はボロボロのクズで、孤独だ。自業自得なんだが、お前にだけは嫌われたくない。お前は俺の娘だ」
映画を通して、父娘2人の感情はすれ違い続ける。いや、実の娘と、だけではない。ラムのような男は、パムとも、誰とも、感情の盛り上がりがずっとすれ違い続け、どこかにたどりついたということがない。
自分が過去の人間であることばかりを痛感させられるラムだが、試合に臨む横顔はどこか吹っ切れていてさわやかだ。最後の最後で自分の気持ちに気が付き、職場放棄して、試合会場に飛び込むパムの前に現れたラムとのやりとりも・・・すれ違う。心臓は大丈夫なの?
ラム「俺にとって痛いのは外の現実のほうだ。もう誰もいない」
パム「いるわ」
ラム「あそこが俺の場所だ」
ミッキー・ロークには疎外された行き倒れの男の役がよく似合う。アンチヒーローと呼べるのかどうか分からないが、こういうジャンルの男の生き方を「極めて」いけば、新規顧客開拓できるかもしれない。
娘との対話シーンに涙 2010-01-31
ミッキー・ロークといえば、私にとっては「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」よりも「ナインハーフ」や「エンゼル・ハート」のセクシー俳優のイメージである。特に「エンゼル・ハート」は禍々しい原作の世界をよく再現していて、「オールドボーイ」にも通じる近親相姦シーンが衝撃的だった。しかし、この作品では彼の色男ぶりはもちろん、かつての面影すらないと言っていい。「シンシティ」は共演者たちも多彩であり、ミッキー・ローク自身のインパクトはそれほどなかったので、この「レスラー」でミッキー・ロークの新たな一面を発見した感が強い。
四半世紀に及ぶプロレスファンの私から見てもミッキー・ロークのプロレスラーぶりは違和感がなく、アメリカン・プロレスの世界にしっかりはまっていた。スタントマンを使っているシーンがあったとしても、ミッキー・ロークは単なる肉体改造だけでなく、トレーニングもみっちり積んだに違いない。演技力以上に肉体に説得力があった。
80年代半ばにMSGを熱狂させたスーパースターといえばハルク・ホーガンだが、「ランディ」という名前からはランディ・サベージも連想させる。実際に肉体にダメージを蓄積しながら老いてなお戦い続けなければならないプロレスラーや、筋肉増強剤の使用などの影響もあって心臓疾患によって急死したプロレスラーも少なくない。かつて自分たちを熱狂させたプロレスラーの悲報を聞くたびに何ともいえない気持ちになるのだが、この作品はプロレスファンを超えて中高年の共感を呼ぶに違いない。
ラストは見る側に下駄を預けた感じだが、いずれの結末を選んでもすっきりしない気持ちが残っただろうし、これはこれでよかったとしよう。外枠は似ていないこともないが、スタローンの「ロッキー」とは違った味わいがある。
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